北海道発 秋山財団ネットワーク形成事業「新しい公共」の担い手づくり


Vol.22 農の本質と感性価値(2011年1・2月号)

十勝農業イノベーションフォーラム

  

 公益財団法人秋山記念生命科学振興財団(秋山孝二理事長)では、北海道発の新しい公共の担い手を育成し、分野横断的な課題に対してネットワークを形成して課題解決に取り組むプロジェクトを支援する「ネットワーク形成事業」を2008年度から実施している。主眼は人材育成とネットワーク形成。助成期間は3年で、現在、6つのプロジェクトを支援している。各プロジェクトの代表者と秋山理事長の対談の第2回は十勝農業イノベーションフォーラムの鈴木善人リープス代表。(聞き手・堀武雄)

 

火山灰土・十勝の農地に二酸化炭素を吸着させる


 ――ビジネスEXPOに出展しましたね。

 鈴木 概念的なコンセプトをどこまで理解していただけるか、不安もありましたが、特に年輩の男性から多くの共感が得られました。内容は、この2年間にネットワーク形成事業で培ったもの。ブックレットも作りました。

 一緒にこのプロジェクトを立ち上げた帯広畜産大学の谷昌幸先生が「地球の環境は地表面を構成する大気圏、水圏、地圏、そして生物圏を物質やエネルギーがなめらかに移動し循環することで維持されています。物質やエネルギーの移動の多くは各圏との接触面を持つ土壌を介して行われます。土壌が持つ性質や機能は物質やエネルギーの移動速度を緩やかにし、ある場合には土壌中に貯留して移動そのものを制御することがあります。それが土壌の緩衝能です」と言っています。そこにインスピレーションを得て、土壌を見直そうというのがこのプロジェクトの始まりです。

 地球温暖化対策として二酸化炭素排出量を減らさなきゃならない、出した分はどこかで吸着させなければならないと考えたとき、十勝から網走にかけて広がっている火山灰土は大きな可能性を秘めている。農業を見るとき、私たちは生産物ばかりにとらわれがちですが、土壌から奪うだけでなく、お返しをしていこうということです。十勝の農地は大きな貯蔵能があるから、そこに炭素を吸着させることをビジネスもしくはCSRとして立ち上げたい、というのがスタートでした。

 土壌炭素は、単に空気中の二酸化炭素、あるいは堆肥などの有機物由来の炭素を吸着するだけでない。農地の地力や生産性は炭素に依存するところが大きい。火山灰土は肥料をたくさん入れなきゃならない土地ですが、肥料に頼りすぎると地力が失われていく。土壌に炭素を入れることは、地球温暖化対策と地力保全の一石二鳥なのです。

 プロジェクトを立ち上げた当初のメンバーは研究者ばかりでした。大学、国や道の研究機関のトップクラスのプロフェッショナルでしたが、どうしても学術的な部分に終始してしまう。確かに科学的な説得力はあるんですが、ネットワークが有機的に動いていくモチベーションにはなりません。実際に土の魅力を知り、土の力を感じているのはやはり農家です。そこで理論的な部分はある程度のところで区切りをつけ、それを広く理解し、感じてもらうための「アースカフェ」を始めました。

 

農業には数値化できない感性的な価値がある


 秋山 そこまででどれくらいの期間でしたか。

 鈴木 半年もかかっていません。最初のアースカフェが8月でしたから、約3ヵ月です。

 秋山 最初の構想から、テーブルに着く人が代わったということですね。

 鈴木 代わりました。予算があれば研究をしたいという人たちばかりでしたから、ネットワーク形成事業のテーマである、立場の異なる研究者が一つのテーブルに着いて議論し、新しいネットワークを作るという方向にはなりませんでした。

 秋山 それも発見の一つ(笑)。

 鈴木 このままでは成果が出ないんじゃないかと、ちょっと焦りました。十勝しんむら牧場で1回目のアースカフェを行い、先の土壌の話を谷先生にしていただきました。40名近い方々に参加していただき、牧場の中でゆっくりとした時間を過ごす。普段触れることのない放牧地に入って牛を間近に見たり、落ちている牛の糞がこれからどうなっていくのか、という話を聞いたり、そこで獲れたものを食べたり。ただそれだけですが、参加者からの反応がすごく良かったんです。

 秋山 参加者はどういう人たちでしたか。

 鈴木 ブログやチラシで参加者を募っただけです。不特定多数。

 秋山 牧場に行くという内容ですから、都会の人向けというイメージでしょうか。

 鈴木 都会の人も農家も来ていました。多様な人たちです。話題提供と食べるものは多少用意しましたが、ほとんどお膳立てをしませんでした。それでも終った途端、「次はいつやるの?」と訊かれました。

 秋山 それはどうしてだろう。そういう時代なのか。心地よさや楽しさを求めている?

 鈴木 アースカフェはこれまで6回やりました。その中で気づいたのは、物質的なものではなくて、多分、感性的なものだろうということです。農業には生産物をはじめとする物質的な価値がありますが、数値化できない感性価値というべきものがある。それを根っこに据えていかなければならないんじゃないかと思います。

 

大人の遠足アースカフェ

「楽しめない人は可哀想」


 秋山 スタートのときは良かれと思ってセットアップしたものの上手く行かなかったというのは、失敗ではなくて、思い込みが強すぎたのかもしれませんね。

 鈴木 普通、技術開発プロジェクトなどの場合、補助金をもらうときは結果が見えた状態で企画書を書かなきゃなりません。アウトプットまですべて描いて、すでにシナリオができた状態でスタートする。僕もそんな感じで提案書を書きました。先が見えないものについては普通、補助金は出ない。ただ、それではまったくイノベーティブな話にはならない(笑)。

 秋山 そうそう(笑)。

 鈴木 補助金を出す側も成果を出してもらわないと困るから、「これが成果です」とあらかじめできている企画書を求める。ネットワーク形成事業では、当初、秋山理事長から「立場の異なる関係者が集まって一つのテーブルに着くことで新しいものが生まれて来る。そこに期待しているんだよ」と言われていました。でも、始めてみると全然新しくない。ところがアースカフェを始めてみると、とても反響が良くて、リピートしてくれるし、やるたびに新しい人が来てくれる。子供も来てくれます。ある人が「これは大人の遠足だ」と言う。「これを楽しめない人は、可哀想な人たちだ」と言う方がいて、そこでまた気づいたわけです。

 秋山 それはとても大きなヒントですね。そういうきっかけがないと、また行きたいという気持ちが刺激されない。私も何回か参加しましたが、それ以来、電車の窓か見える畑の様子が気になってしかたがない(笑)。

 鈴木 皆さん、そうおっしゃいます。

 秋山 あれは不思議ですね。

 

「農」の意味を考える

共同体への食の供給が原点


 鈴木 ただ、アースカフェばかりやっていても仕方がない。そこから先の出口が見えなくて攻めあぐねていました。やりたいことはぼんやりとは見えているんですが、感性の価値≠ニ言ってもなかなか具体的なものをアウトプットできない。アースカフェで起きた現象についていろんな人と話をし、それを自分の中に貯め込んでいました。そして今年の春、アフリカのマラウィに行ったわけです。そこで気づいたのは、農業というのは本質的に食べていくため、命をつなぐために私たちは畑を耕すということです。「農」という漢字を調べてみると、上の「曲」は森、下の「辰」は貝殻を意味しているそうです。道具=貝殻を使って森を拓き、土を耕すことが「農」の意味なんです。開発行為ですね。私たちは地球の中で道具を使って自然を切り取る。そこでカルティベーション(耕作)したものが農業になり、ディベロップメント(開発)したものが共同体になっている。狩猟民族から農耕民族になって定住するということは、つまりまちづくり、コミュニティづくりをしていることになります。そのコミュニティに対して食料を供給するのが農業の役割です。ここが農業の原点、私たちの暮らしの原点であろうと思います。農業は食を生産し、私たちの身体を作り、命を支えていく。農業がなければ共同体もまちづくりもできない。共同体では文化が生まれ、暮らし・ライフが生まれ、その上で高度な文明が維持されている。私たちは文化的で都会的な暮らしを享受している一方で、この原則が解らなくなっている。

 ただ、自然は一度切り出してしまったらもう元には戻りません。ですから切り出した自然を農地として最大限に活用すること、10年後、20年後、100年後もそこが農地としての地力生産力があること、つまり100年たってもちゃんと食料が生産できていることが自然に対する私たちのアクションであると思います。農業の原点がコミュニティに対して効率的システム的に食を生産することであって、有機農業や自然栽培はその手段の一つでしかありません。ただ、目的を達成できないような農法や手段は意味のない話になってくる。

 「安くて安全安心」は消費者が権利だと主張する部分ですが、農の原点を理解していれば、権利を主張するとともに義務も生じてくる。「税金を払っているのだから対価を求めるのは当然」と言えるのか。

 

食べる人≠ェ農のことを考えなければならない


 秋山 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)についてはどう考えますか?

 鈴木 基本的に、工業生産品と農業は根本的に違うということですね。6次産業化、食クラスター、農商工連携は、それはそれでいいんですが、農の原点から見ればほんの表面上のことに過ぎないと思います。

 秋山 農そのものに対する根本的な哲学がない?

 鈴木 前原誠司外相が言ったように農業は所詮GDPの1・5%で、日本の経済には何の貢献もしていない。数字としてはその通りです。だったら、農業止めますか? 北海道の農業でみればGDPの1%もない。TPPで自動車が2〜3%伸びるかもしれない。では、農業を止めてしまうんですか? それは困ると誰かが言わなければなりません。北海道に農業がなくなっても日本は困らない、全部輸入にする。それでいいとは誰も思わないかもしれませんが、そこに誰も気がついていないのが日本の社会の現状です。日本に、北海道に農業がなくなったら困るということを言うときに、最後の砦、基礎になるのが農業の感性価値だと思います。

 秋山 総論として国際社会の枠組みの検討に参加することは、時代的に避けて通れないわけです。だが、同時に、それだけではやはりダメで、農そのものの戦略的な価値、位置づけを認めるという条件においてのみ、初めてそれに参加するということですね。メディアのとらえ方も「鎖国か開国か」。開けばいいというものでもないし、反対だけしていればいいというものでもない。

 ――貿易自由化が避けて通れないとすれば、その中で日本の、北海道の農業をどう考えていくのか。

 秋山 だから、農はどうでもいいという話に誘導されるのはやはりおかしい。

 鈴木 農がなくなるというのは極論ですが、私たち食べる人≠ェ農のことを考えなければならない。食べることにポリシーを持つということですね。

 秋山 そうそう、生きること、暮らしの中にね。

 鈴木 だから今はいいチャンスなんですよ。農家もそこに気づいてほしい。アフリカに行って思ったのは、それが幸せな状態かどうかは別にして、みんなが食べることに対して真剣に向き合っているということです。

 秋山 眼が輝いていたよね。

 鈴木 食べること=生きること=コミュニティを維持すること。そのことからこの図を作ったんです。都会にいる私たちの暮らし原点は農業にある、農的な部分にあるということを強く意識しながら作りました。

 秋山 もっとも脆弱なのが都会ですね。

 鈴木 そうなんですよ。食わなかったら産業活動はできない。そういう本質的なところ、一番の根っこの部分を共有化していくような人々のムーブメントを作りたい。それが私たちが目指すべきネットワークの一つの形、プラットフォームだろうと思ったんです。農業の感性価値を上手く表現するには、農家非農家関係なくたくさんの人が集まってくるネットワークが必要です。

 

プラットフォーム活用し農業の本質的価値の理解促す


 秋山 これまでの材料や気づきを最終年度3月までにどういう形でイメージしていきますか。

 鈴木 一つはアースカフェの取り組みを進めます。活動拠点としてはインターネットを使います。コンテンツはまだ薄いんですけど、すでに「アースカフェプロジェクト」〈http://earth-cafe.jp/〉というサイトを作りました。このプラットフォームでは「本質を見抜く感性と、良質な想像力を持った人たち」にクリエイターとして係わってもらっています。これは農家だけでなく、経営者、主婦、会社員でもかまわない。そういう人たちが集まって新しいプロジェクトを作っていく。それはビジネスであったり社会貢献であったり教育であったり、いろんなパターンが考えられます。

 秋山 それは係わった人たちが自ら課題を発見して、自分たちでどんどんやっていく?

 鈴木 そのための出会いの場、マッチングの場をインターネット上に作る。今回はそのためのインフラをまず作ったわけです。そこでクリエイターの人たちにコラムを書くよう依頼しています。いろんな立場の人たちがいろんなテーマについて話題を提供していく。クリエイターたちのブログの更新情報をサイトに反映させたり、何かを始める提案をしたり。ツイッターなども上手く使いながら緩いつながりを持っていく。私もツイッターを始めてみましたが、これは農家にすごくマッチするツールで、みんなに勧めています。トラクターに乗りながら携帯電話で写真を撮って「畑に鹿が出たよ」とか。この間、別海の酪農家が「放牧地に丹頂がいた」とつぶやいた。「丹頂がいたら牛たちが怯えるからはやくどこかに行ってもらいたい」「だけど丹頂は天然記念物なので手も足も出せない」と書く。これはとても新しい情報です。擬似的なアースカフェなんです。クリエイターたちの文章やこうしたツイッターなどで農業の本質的な価値についての理解を促すようなことをする。そのプラットフォームを運用していくことが一つの出口になると思います。当初の目的だった土壌への炭素吸着も引き続きやっていきます。

 秋山 ネットでつながるということですが、年に1回くらいはネットの見える化≠ニいうか、確認の場があると楽しいんじゃないでしょうか。

 鈴木 谷先生は土づくりの講習会をやりたいといっています。このプラットフォームを利用して、毎年定期的にフィールドで土を掘って、夜はちょっと話をして、というアカデミックな展開もしていくし、アースカフェもやっていく。シンポジウムなどもこのプラットフォーム上で展開していきます。

 

大地の息づかいを感じる

畑に流れる時間を感じる


 秋山 アースカフェでは毎回いろんな人が集まって来ています。その人たちとの関係性を追いかける仕組みがあってもいいかなと思います。

 鈴木 そうですね。一つはツイッターなどのツールを上手く活用すること。私たちがやることをこのプラットフォーム上で発信し、伝えていくこと。

 秋山 企業とのコラボレーションはどうですか。少しかったるいとか(笑)。

 鈴木 いいえ、全然OKです。ただ、今までの価値観でやるならまったく要らない。土壌への炭素吸着について旅行代理店やレンタカー会社を回って話をしましたが、そういう取り組みには、立派な理念やムーブメントが必要です。私たちのプラットフォームを使ってそういう気運を高めていかないと、どんどん低い方に落ちていってしまいます。食べものに感謝して食べるとか、そういうちょっとしたことですが、そもそも農業の「農」とは何なのか、という意識を強く持つこと。それが「感性価値」。「大地の息づかいを感じる」心を持つこと。動物写真家の星野道夫さんが「あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい」と書いています。都会に流れている時空とは別の形で地球の時間、畑の時間が流れている。それを感じるからアースカフェは面白い。自分たちはこんなに日々焦っているけれど、草は着々と大きくなる。そういう畑の中に脈々と息づいているもう一つの時間、それを私たちが取り戻すことが「農」の本質、感性価値に気づく第一歩だと思います。


 
 

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